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2011年5月25日 (水)

0004 杉浦日向子の食・道・楽

杉浦日向子さんは、
NHKの「コメディーお江戸でござる」で江戸の風俗を語る、
その語り口がことさら女性らしく、しかも現実味を帯びて詳細なことに、
いつも注目しており、自分のいつかは会いたい人リストの上位でした。

そして、衝撃かつ突然の訃報がもたらされてから、
もう6年が経過たことに、少し驚きます。

もともとは漫画家でいらっしゃいましたが、早々に「隠居生活をする」、と引退宣言。
しかし、そのほんとうの理由は、
骨髄移植以外に完治の道がない血液免疫系の疾患のためだったことや、

亡くなる直前の
「念願だった豪華客船で世界一周の旅を」したとの発表を
すっかり信じ込んでいましたけれども、
実は闘病していた… など、短い生涯をなんと美しく駆け抜けられたのだろうと思います。

私が、初めて杉浦日向子さんを知ったのは、
テレビでの江戸風物を語られる姿からでした。
江戸の蕎麦屋で、そばの種を肴に昼間からいただく日本酒のお話しが、
いかにも楽しくおいしそうで、東京出張ついでに神田のお蕎麦屋さんに入ったものでした。

「杉浦日向子の食・道・楽」は、著者の訃報に触れた直後に手にとった本でした。
江戸からの控えめな粋を教えてもらえます。
病に対する洞察もまた、日本的に思えます。

これ以上は、照れくささもあり、抜き書きだけで





-----では、(当時)私の反応したくだりリストを以下に-----

(p.22)
食は、命をつなぐ、最重要行為だから、その質(廉価・高価)に、差別はない。

(p.23)
たとえば、「ながら喰い」。
意識は他のことに集中していて、とりあえず手と口を動かして、
食べ物の形態などは確認もせず、黙々と胃へ燃料源を送る。
胃が膨れれば、うまいまずいもなく、それでいい。
あるいは、「遊び喰い」。
食べ物を、ぐちゃぐちゃパズルのように分解して、
長時間かけて、つつき散らかし、ほったらかし。
下げようとすると、マダといって、さらに遊んで散らかして、結局食べない。
または、「欲喰い」。
ビュッフェなどで、めったやたらに、てんこもりに取って来て、そのくせ、ごっそり残す。
皆、とても、不快な、作法だ。"

(p.23)
「(御命)いただきます」こそ、率直敬虔な、基本の作法の一言ではないだろうか。

(p.26)
恋人は、無重力遊泳状態だから、シンプルな旧知の食材を、
ともに味わうことにより、一歩一歩理解を深め合えると思うのである。

(p.26)
うどん、ラーメン、焼き鳥、とんかつ、お好み焼き、おでんなどのカウンターに行きなさい。

(p.26)
食べ慣れた料理を、そのひとはどんなふうに注文して、どんな速度で食べるのだろう。
なじみの店の店員さんや常連客とどんなふうに会話するのだろう。
ほんのそれだけの日常の断片から、遠心力が生まれ、地に足が着くのが解る。

(p.26)
並んで座って、ふと横顔を見てごらん。~それがそのひとの素顔なんだよ。

(p.27)
並んで座ろう、並んで食べよう。

(p.28)
バーカウンターで呑むとき。このときは、雰囲気を呑む。
ワンランク上の銘酒や、自分ではつくれないカクテルを、気の利いた肴で味わう。
これは、場に酔うのであって、盃数を重ねるのは野暮。

(p.29)
命をつなぐ食事、それを彩る酒。
ブローチのないドレスはあっても、ドレスのないブローチはありえない。
酒がブローチであり、食事がドレスだと、考えてほしい。

(p.44)
いわゆる贅沢な時間を、ひとり静かに過ごす楽しみ。

(p.38)
「おふくろの味」ではなく、「袋の味」と言える。

(p.47)
生命の味、生味(せいみ)、そして凄味だ。
食べる、とは、ホントに凄い行為だ。命から命をいただい日々を永らえる事だったんだ。
だから。食事前の「いただきます」って、いい日本語だ。

(p.49)
春は、張る。なにもかもが漲っている。怠けものにはしんどい季節だ。

(p.50)
「豆に暮らせ」とは「達者でいろ」との意

(p.100)
イタリア人は、人をはげます時に「フォルツァ!」(大丈夫)と云う

(p.104)
誰にとっても「老い」は、初体験の変化だから、若さにしがみつこうとは思わない。
時を、丸ごと、受け容れて、今の生命を、ことほぎたい。

(p.113)
呑まなければ、もっと仕事ができるし、お金もたまる。
~間に合わなかった仕事、ごめんなさい、おいしいお酒、ありがとう。

(p.134)
江戸のころ、「闘病」という言葉はなく、「平癒」といった。
闘病が、撲滅駆除の叩き出しで、
平癒が、来訪メッセージに歩み寄る示談ではないだろうか。
たて籠もった珍客は、偶然か必然か、ともあれ、自分の身体を選んで侵入し、居座った。
気難しい客だけれど、通じる言葉は、きっと見つかる。
長年、病人をやっていると、そんな気がするのです。

(p.118)
不健康は健康のもと

(p.118)
病とは、外からやってくるものばかりでなく、もともと体に同居していた、
ちいさな身内だったのかもしれません。
それが突然、来訪者として、「頼もう」と声を荒げた瞬間が「発病」です。
なにか、メッセージがあるから、姿を現したのです。
招かれざる客ではあっても、まず用件を丁寧に聞いて、
かれがなにものなのか、自分のどこがいけなかったのかを知り、
なるべく、すみやかに、おひきとりねがいたい。
これが「平癒」の意味するところなんですね。好きな言葉です。

(p.139)
足を運んで、一歩ごとに近づいて、会いに行く。肩に触れ、握手して、あいさつをする。
それが、人間の、付き合いだ。

(p.145)
人間は病の容れ物

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