2013年12月
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31        
無料ブログはココログ

« 出版社の方がこのブログを | トップページ | 0006 都市の水辺をデザインする »

2011年6月 5日 (日)

0005 企業参謀

どなたか、経営者の方だったと思うのですが、
大前研一さんの「企業参謀」に大変感銘を受け、
座右の書しているとお書きになっておられたのか、
「企業参謀」を読まずして、経営などあり得ないとお書きになっておられたのか、

(どなただったのか、どこで読んだのか、どういう言い回しであったのか
 そういういことが思い出せないことが多く
 わたしにとっては、それがたいへんなフラストレーションになっているのです。
 直感に響いたところを抜書きしようという、いわば最後の手段に至ったのは
 そのフラストレーションからの逃避の道なのです)

なにしろ、そんなようなことがあって、大書店の文庫の棚をのぞいてみたところ
この書が鎮座していたので、すぐに買い求めたのでした。



この本では、大前研一氏が考える「戦略的思考」の方法が概説されます。

立ち読みのときにチラリと内容が目に入る程度のことですから、
実際どういう内容のことが記されているのかはまったく知らないのですけれど、
「ロジカルシンキング」だとか「見える化」といった
よく書店のビジネス書群に見かけるテーマの多くは、
この「企業参謀」をルーツにしているものが相当数あるのでしょう。

自分の取り組みが浅い分野の書籍から抜書きをしていくと、
(ある人は、アンダーラインやマーカーでなぞったりするのでしょうけれど)
たいがい、概念的な部分がその対象となって、
具体的な部分や数字による表現については、
なかなかその意味するところが理解できないものです。

私にとって“企業参謀の戦略的思考”は、そういう種類のもののようで、
抜書きを並べてみると概念的な部分が目につき、
それゆえ、それらの抜き書きを昨今の自分の取り組みに対する正当化のように、
引用したくなってしまうようです。

著者がたびたび指摘するように、
戦略的思考には既製服はないのであって、解はすべて個別なのだとすれば、
その道筋が一般化・標準化されてフローになっていることは、
書籍としては十分な具体性を持っていると受け止めるべきでしょう。

今は、自分自身がもう少し成長してから、ぜひもう一度読み直したい思いです。
そのとき、どういう抜き書きが現れ、どういう感想を持ち、
今日のわたしに対してどのような形の共感を持つのか、
自分自身に対しても興味があります。


冒頭、旅行商品のパッケージの事例を筆頭にいくつかの事例が紹介されたのち、
(ここで、大前研一氏に観光ガイドの経験があることを初めて知り、
 親近感に拍車がかかります。)
著者が「戦略的思考」と考える方法論が示されます。

「戦略的」と私が考えている思考の根底にあるのは、
一見混然一体となっていたり、
常識というパッケージに包まれてしまっていたりする事象を分析し、
ものの本質に基づいてバラバラにしたうえで、
それぞれの持つ意味合いを自分にとって
もっとも有利となるように組み立てたうえで、
攻勢に転じるやり方である。
(p.18)


まさに、今の私は「攻勢に転じたい」と思っているのだ… ということに気づかされ、
あっという間に引き込まれます。

そして、相当の経験を積んだ百戦錬磨の士が
まだ若い後輩たちに送るメッセージと錯覚するような内容でありながら
この書が世に出たのは1975年、著者が32歳の時だというのだから驚きます。

本文では数々の問題解決の技術論が示されたあとで、KFSの存在が明かされるのです。

〔戒2〕において完全主義を捨てることのできた方々には、
次に、ふたたび完全かつ徹底した仕事をやるように勧めたい。
物事には、その結果に影響を与える主要因というのが必ずいくつか存在する。
これらをうまく管理あるいは応用すれば戦略が成功するというので、
戦略的思考家の間ではKFS(Key Factors for Success)と呼んでいる。
(p.192)


戦略的思考家とは、みずからの担当する職務(役職、業種、業務)において、
つねにKFSがなんであるかという認識を忘れない人のことであろう。
そして、彼は全面戦争ではなく、
KFSに対する限定戦争に“徹底的”に挑むのである。
(p.193)


ここで言う「全面戦争」とは、私たちの日常で言えば「苦労のしすぎ」。
苦労のしすぎは、時間と費用の浪費です。
わたし自身も少なからぬ労力を投入している、「苦労のしすぎ」ルーチンという
全面戦争から脱却する具体的手順とそのKFSが全篇を通じて示されています。


企業における戦略的思考の章では、その段階ごとに方法が概観されます。

ステップ1=市場性の動的把握。
第一ステップで重要となるのは、市場のサイズと成長性を知ること
(p.131)


このことは、わたし自身についてみるならば、たいへん恥ずべきことであり、
これまでにも先輩経営者からしばしば指摘され、
そして是正されていない事柄のひとつであることを自白しなければなりません。

われわれのような着地の「観光コンシェルジュ」の市場のサイズと成長性について、
細かい数字を持っていない自分に驚かされます。

そして、どこまでいけるのか、がんばれるところまでがんばってみよう…
というような見切り発車的発想が少なからず自分の中にあることに
今さらながらゾッとします。

そうなっているのには、時間的、人的制約などの事情があり、
私たちの通ってきた道やタイミングでなければ、
そして今までかかわりを持ってくれたメンバーでなければ、
私たちの事業が立ち上がってくることすらできなかったでしょうし
せっかくのチャンスをみすみす逃すことになったでしょう。

しかし、今までの経験を持ってするならば、
もっと近い道が、そしてもっと効果的な施策があったことを思い知るわけですし、
もっと周到で的を得た準備があったことに性急さを隠しきれないのです。

その途上で、市場サイズ、成長性といった事柄を
数値表現される機会がなぜなかったのか。

われわれがこの事業を始めるときによりどころとしたと言えば、
せいぜい各種白書の総括的な指摘くらいでした。

地域ビジネスとしての自覚の欠如を今からでも補わなければなりません。


しかし、なぜそうなってしまったのだろうかということに、
著者はしめくくりとしてひとつの示唆を用意していてくれました。

集団無責任制にとり替わる方策が見出されなくてはならない。
これはとりもなおさず、個人またはごく少数の人間が、
その個々の責任において物事を考え、立案し、実行していくやり方にほかならない。
困難な大山を登るには、周到かつ具体的計画と
それを具現する意志の力がなくてはならない。
こうした当たり前のようなことを、わたしはここ数年考え続けてきた。
(p.216)


そうだ。当たり前のようなことなのだ。
そして、当たり前のことは、意外と実行されていないものです。



こうした現実は、なにも私たちに限ったことではなく、
今日まで日本がたどってきの「観光立国」実現へ向けた道筋からも、
下記の指摘がされることは至極当然です。

私は、国のレベルでも企業と同じように、
戦略的問題解決者たちのグループが必要だと思う。
(p.146)


のちに国政に挑戦された著者の志が
相当早い段階から内在されていたことを知らされるとともに、
このことは、地域の観光政策について、まったく同様の課題があることに気づかされます。

地方の行政機関には、観光分野での実務経験を有する人や
観光政策立案のプロはほとんど存在しません。

そして、余談ですが、観光を専門とするコンサルタントは、おそらく世界的にも
東京に1法人が存在するばかりだと聞きます。

「観光立国」を目指す国ではありますけれども、
地方において観光分野の「戦略的問題解決者のグループ」など、
みるべくもないのが現状なのでしょう。

観光産業にたずさわる者が一丸となって
戦略的に課題に取り組んでいくのでなければ、
とても「観光立国」の実現には至らないということを
わたしはわたしの立場と力量において自覚しなければならないことを知らされます。


力不足の者が現場で汗を流すのは、
これがまた時間と費用の浪費要員なのかもしれませんけれども、
少なくとも汗をかいている… という自意識から、
以下の記述には強い共感を覚えたものです(著者が心外でなければいいのですが…)。

主語を入れたとたんに発生する問題の数は多く、また複雑である。
しかも、内情をよく知り、内部経済を徹底的に分析し、
市場における競合状態と競合の性格をよく理解しなくては解が求められない。
また解を実施したときには、結果が予想通りいくかどうか、
ということに対する直接の責任が、
この仕事を担当した人の上にふりかかってくる。
シンクタンクはこうした実践用には不向きである。
(p.211)


こうしてみると、企業や大きな公共機関にとって、
きわめて重要な問題解決のためのグループは、
シンクタンクでは主語がなく、
内部の者の寄せ集めでは動詞がない、という二律背反につきあたる。
(p.212)



なぜ強い共感を覚えたのかといえば、
いわゆる「地域」が課題として内包しているのは、上記のような状況であること、
そして、即座に最近の出来事を思い出したからなのです。

今、わたしは、温泉街で
観光ガイドと着地型旅行の造成・販売を進める事業に取り組んでいます。

即座に思い出した最近の出来事とは、私たちの提供するサービスを指して、
国の機関がアドバイザーとして重用している人物が、
「価格設定が安すぎる」と嘲笑気味に言い放たれたこと。
(しかもしつこかった… 
 というか、私たちに対する共感が全く感じられないことに対して、
 わたし自身が不快だっただけかもしれませんが)
カチンときてしまったのです。

一般論として、われわれの提供しているサービスの価格が安すぎることなど、
重々承知なのです。

しかし、わたしのいる温泉街にはここ特有の風土や顧客があります。
アドバイザーが想定しているであろう価格帯ですでに私たちもトライし、
顧客にも、近隣の事業者にも全く受け入れてもらえないという経験をしているのです。

一般論として、顧客のターゲティングを行い、地域特有の資源を活用して、
地域特有の歴史や文化に根ざした日常の過ごし方を提供する、
こういうことを地域をあげて進めることが顧客を飽きさせないことであり、
そうした商品は高単価で販売できるのだという主張は、よくわかります。

もちろん、私たちはそういうものを提供したいと考えて、何年も前から取り組み
やっと目標を共有できる輪が広がり始め、成果を見始めているところなのです。

たいがい、アドバイザーの言うことは、総論としては大間違いではないのでしょう。
そして、政策に合っていても市場には受け入れられないときもあるのかもしれません。
また、アドバイザーのホームグラウンドでうまくいったことでも、
わたしたちの温泉街では、うまくいかないこともあるかもしれません。

一般論に「私たちの温泉街では…」という主語が入れば、
外から見れば、あまりにつまらない、そして、地域にとってはあまりにも深刻な制約条件が
実際の障害として山積しているものです。

アドバイザー氏がわたし達の温泉街で取り組みを始めるのであれば
まずもって、わたし自身がアドバイザーにとっての障害物になるはず。

そして、障害物の中でも、私などとるに足らないものだったことに
すぐに気が付かれるでしょう。

アドバイザー氏が、どうして政府にかくも高い評価を得ているのか、
わたしには全くわかりませんが、
氏がこれまで評判の良い成果を残したところには、もともと地域に
じゅうぶんな力量やチームワーク、あるいはリーダーシップがあったのか、
あるいは、本書が次のように指摘する無精な地域が
地域独自かあるいはアドバイザー氏自身の上手な宣伝力で、
彼の評判を高めたのでしょう。

表面的に形態を真似してみても、効果が表れない。
しつこく、とことんまで同化させてしまえばじつはうまくいくのだが
もともと無精なるがゆえに、外来もので応急処置をしようとしたところに、
うまくいかないからとて大量のマンパワーや追加投資をするのは気恥ずかして、
結局中途半端となる。
このために十分な成果が出ないのであろう。
(p.75)



ところで、シンクタンクの仕事(レポート)は、きれいにできているな… と、
わたしは普段から思っています。

そして、どうひいき目に考えても、
自分にはあれほどスマートな仕事ができないだろうとも思っているのです。

ただ、上記本文の指摘からは、自分はヘボい戦車でありながらも、
実践の現場を与えられているのだということについて、
この書は教え励ましてくれているのではないか… そう都合良く解釈させていただき
「徹底的に執拗に最後までやれ」と
若き日の大前研一さんが背中を押してくださっていると、
わたしたちの温泉街での仕事をあきらめない決意を今一度新たにするのでした。


なかでも、喫緊の取り組みへの良き助言ではないかと思われたのが、下記。

企業家の努力の成功度合いを測る尺度としての
収益性(投下資本利益率=ROI)が市場でどのような挙動をするか(中略)
 (2)シェアに最も敏感なコスト項目は、総売上高に対する購入品費
    (日本でいう外注、下請け、部品購入費などの総計)で
    両者は相反する傾向を示す。
    この理由のひとつは、
    シェアが大きいほど内作業が高い場合が多い、ということである。
 (3)広宣費、その他の販売費は、売上高に比例して増えない


こういったことは、
長年経営の経験を積んできた人々には当たり前のことなのでしょうけれども、
私にとっては、「目から鱗が落ちる」感覚なのです。

特に広宣費については、効果を上げることができるある水準に達してしまえば、
あとは、売上高のほうだけが上がっていくという分界点のようなところがあるのでしょう。

分界点までは、少々重たくても頑張ったほうがいい。
そしてそこを超えたら慎重に効果とのバランスを調整する必要がありそうです。



さて、話はかわりますが、私は仕事上、コンサルタントの立場であることもあれば
クライアントの立場であることもあります。
その、コンサルタントとしてのスタンスに良きアドバイスと感じられた心得がありました。

代替案を探るときには、「What,if…という設問のしかたをするのが普通である。
すなわち
「もし、状況がこうなったらどのように考え(あるいは行動、反応し)たらよいか?」
ということである。
ところがわれわれは考えることに対して無精であったり、考えが及ばなかったりで、
なかなか「what,if…?」という考え方をしない。
これは、物の考え方そのものに対する自信のなさに起因しているので、
社会的背景によるものではないが、日本人が、とくにこの「Whata,if…?」が不得手
(p.XXX)


どういうわけかクライアントになった時に、
前提条件の設定をクライアントである私に求められることがあるのです。

そんなときには、上記の「もし、状況がこうなったら…」の判断を
コンサルタントがクライアントに押し付けているように感じるのです。

そんな判断ができるのであれば、問題の半分はすでに解決しているような気がしますし、
そこまでいけば、コンサルタントの力を借りなくても最後まで行けてしまうかもしれない。

コンサルタントを名乗るにあたって、この点は心すべきなのでしょう。



そして、コンサルタントとしての著者は質問上手のよう。
質問の仕方にかかわる洞察がところどころに現れるのです。

コンサルティングをしていて、新しい業種に入ったときにはかならず、
「この業界で成功する秘訣はなんですか?」ということを
担当の専門家に聞くことにしている。
もちろん即答できる人はまれだから、いろいろな角度から質問をしてこれを探り、
できるだけはやくKFSについての“見こみ”をたてる。
これを普通「仮説(ハイポシス)」と呼んでいるが、
まったく空をつかむようにして立てた仮設ならともかく、
その道にくわしい人にいろいろ質問をしながら、仮説を立てていくと、
意外に短期間で収束するものである。
(p.194)


あれほどの有名人でありながら、教えてもらい上手なのか、
この人になら話しても大丈夫だと感じさせるのか、
著者のロジックのわかりやすさ、周到さばかりではなく、
何かそういう人としての奥深さを感じさせられるのでした。


最後にちょっと余談を…

シャーマニズムの血筋を引くわが神道の影響である。(中略)
とくに言霊とか心霊といったものを重視し、
悪いことをなるべく考えまい、言うまい、とするようになってしまった。
つまり「What,if…?」という発想を
「考えるだけでも恐ろしいような悪いことが心に宿ると、
 それが本当に起こってしまうのではないか…」
という恐怖心から、なるべく避けて通るような“くせ”がついたのではないか。
(p.190)


ということについて…
わたしはこう考えているのです。

起こってしまっては困ることの心配は、とりあえずしておくことにしています。

起こってしまっては困る… と怯えてしまうと、
マーフィーの法則よろしく、それは実際起こるのですけれど、

起こってしまっては困る… ことが起きたときの手の打ち方まで考えておくのです。

これは、私にとっては呪いのようなもので、
起こりもしないことを心配しておくと、そんな心配や対策は徒労に終わるのです。
しかし、心配と対策をしないと、なぜかその悪いことは、起こってしまう。




-----では、私の反応したくだりリストを以下に----


冷徹な分析と人間の経験や勘、思考力を、もっとも有効に組み合わせた思考形態こそ、
どのような新しい困難な事態に面しても、人間の力で可能なベストの解答を出して
突破してゆく方法であると思う。(中略)
戦場であれ市場であれ、かつて人の遭遇したことのない
試練を乗り切る戦略を生み出す最善の方法
(p.18)


全員参加の解法は、日本的経営の神髄ともいわれているもので、
効き目が皆無であるとは私も思っていない。
ただ同じ努力をするのなら“うるおい”のある解法を知って、
それを目ざしたほうが、精神的にも、見返り的にもよいのではないか(中略)
私にはこれらが本質的な解決策になっているという安堵感がまったくない。
(p.23)


マーケットの状況を読んで、
自ら進んでシェアを放棄した現代経営科学の見本のような会社がある。
シェア32%を誇った軽自動車業界からN360の撤退を決めた本田技研である。
縮小するマーケットの中で、十分な利益とボリュームを確保することは至難のわざである。
それを多くの会社が現実に苦杯をなめるまで足を踏み込んでしまうのは
「過去の栄光」に対する人情的未練である。
これを振り切る経営者の先手必勝の意気はまことに立派というほかない。(中略)
売上が伸びないから、といって、「売上増のアイデア募集」などやるのは
正鵠を得ていない。
(p.27)


漠然とした改善案を拾うような設問ではなく、
解決策につながるような設問のしかたをつねに発せるように訓練し、
心がけておくことが大切である。
(p.XXX)


ブレーンストーミングでも、オピニオンポルでも(中略)
例の同類項をくくる誰でも知っている初等数学の要領で、グルーピングを行う。
そのうえで、もう一度グループとしてまとめてみた場合に、
共通としていえる問題とは何か(中略)
このプロセスを抽象化のプロセスと呼んでもよい。(中略)
業務内容改善計画やプロジェクト活動というものは、
えてしてこの抽象化のプロセスを踏んでいない。
したがって、解決策と問題点が短絡してしまっているのである。
(p.31)


(p.32)図7 写真


(p.38)図9 写真


“手法”に走る前に、常識と頭脳を信頼して、境界域をも恐れることなく分析する
(p.41)


ひとつの企業というのは、有機的な生き物であり、
どこかに疾病がある場合には、成長のエネルギー源としての利益
(あるいは将来の利益ポテンシャル)に影が見えるはずである。当然のことながら、
製品の利益というものは、わずか三つの変数で決まってしまうのである。
 ●売価(P)
 ●コスト(C)
 ●販売量(V)
利益¥=(P-C)V
(p.42)


マーケティングの強い会社では、
ここに示したような分析をルーティンワークで行えるよう、
一定間隔で情報収集をやっているものである。
逆にマーケティングのあまり得意でないところでは(中略)
分析のための情報収集を断片的に、思い出したようにやっている。(中略)
断片的な分析や知識では正しい経営戦略というものは出てこない。
万一当たる場合があっても、それは勘とか運とかいうものに属する成功例で、
“必勝”を期す戦略的思考家のものではない。
(p.46)


現代の巨大企業の(収益性における)勝負は
まさに会計・経理担当者の手腕にかかっている。
(p.48)


旧式の会計術が、物理学でいう「質量不変の法則」にその原点を置いているのに比して、
経営戦略用の会計では、企業という組織に固有な入力と出力との間の“増幅率”に
その焦点を当てている。
ここでいう増幅率というのは、とりもなおさず“利益率”のことである。(中略)
相対値として、経営体そのものの持つ転換率を高めることに
経営努力が払われやすいような会計・経理システムを念頭に置いている。
(p.49)


一般管理費に問題があることが明らかな場合には、
マッキンゼー社のニューヨーク事務所にいるジョン・ニューマンによって系統づけられた
OVA法(Overhead Value Analysis)というアプローチを用いて解決することができる。
この方法では、
まず一般管理費の使い方を左右できるかなり高レベルのマネージャー(約30名くらい)に、
自分の部下の時間、経費の使い方の明細を提出させ、
「万一これを40%カットすると仮定するなら、どんな方法があるか」を述べさせる。
次にマネージャーたちが述べた方法を、
中央のチームが関連部門にその妥当性を検討させたり、
反論を述べさせたりして、企業内で意志の統一を計っていく、というものである。(中略)
従来のように対話を含まない一般管理費削減の方法よりは、
ずっと抵抗の少ない、コンセンサスに基づいた人間的な経費削減ができる、と
好評である。
(p.46)


トップマネジメントのコンサルティングをしていて、いちばん当惑するのは、
既製服はなくすべて注文服になりますよ、と言ったときに、
相手が逆に当惑するシーンに出くわすことである。(中略)
もっとも理想的なのは、
「おたくはほかの多くのところをやってきて十分な成果を上げたと聞くし、
うちもこれこれしかじかの問題を抱えているので、
うちの連中と一丸となってやってみてくれませんか?」
と頼まれるときだろう。
(p.75)


企業のトップマネジメントが、何らかの作戦をたてて影響が出るのは、
明日、明後日ではない。
短期的なことは、現場の指揮官に判断を任せるよりほかない。
細部に至るまで、会社の中枢に情報を送り込んで指揮を仰がれたのでは、
中枢神経はマヒしてしまうだろう。
(p.77)


「中期」と呼んでいるのは、だいたい3年ぐらいを中心とした前後1、2年である。
この期間こそ、戦略のよしあしによって業績が最も大きく“左右されうる”期間なのである。
(p.78)


会社のトップは、会社の操縦者でなくてはならない。(中略)
トップの多くはミドルとの間の仕事の分担、やり方というものについて、
相互によく吟味されたプロセス(約束ごと)を確立していない。
これがため、あるトップは遠大な計画や空想に多くの時間を費やし、
また、あるトップは日常茶飯事のことまでいろいろ口出しをする、
という二極分化が起こってしまうのであろう。
もしトップの主勢力は、中期計画の立案と遂行に向けられるべし
という暗黙の了解があり、日常業務のことはラインマネジャーにできるだけ権限を委譲し、
かつ、遠い将来のことは上から下まで全員で、夏季休暇中に浜辺でゴロ寝をしているときにでも考える
(p.78)


ステップ1=目標値の設定(中略)
空想的願望でなく、外的客観条件に照らして「現実的」と思われる願望を設定すること。
またのちの評価のために、この願望を「定量化」すること。
この二点であろう。
(p.81)


ステップ2=基本ケースの確立
真の問題解決者なら、需要量の説明変数は物理的に、ミクロに、
なにかかかわりあいを持ったものを選び出すであろう。
ある種の建設機械は、住宅着工戸数と密接に関係し、
都市土木機械はまた建て替え戸数に比例している、という予想がつくであろう。
(p.82)


ステップ3=原価低減ケースの算定(中略)
経営者の真髄は、潮の流れ、成り行きまかせ、と思われていた基本ケースから、
どのくらい経営努力によって変革できるか(中略)
ここはあくまでフィードバックし、目標不達成の原因分析と
早急な対策が練られる手段を内蔵していなくてはならない。


ステップ4=市場・販売改善ケースの算定(中略)
利益というものはマージンと個数の積であるというあったりまえのことに戻れば(中略)
市場における努 力とコスト低減の努力が重畳して、
初めて真に大きな改善というものが全体として造成されるのである。
(p.88)


2万人を解雇する方法を見つけようとする前に、
2万人を食わしていける方法を見出そうという発想は
実に日本的戦略的ギャップのとらえ方で、
きわめて高く評価されるべき経営姿勢であろう。
(P.90)


ステップ6=戦略的代替案の摘出(中略)
(1)新規事業への参入…多角化
(2)新市場への転出…海外市場など
(3)上方、下方または双方へのインテグレーション(垂直統合)
  …石油精製から上方へ行けば、輸送、採掘などがあり、
   下方へ行けば、有機合成化学、ガソリンスタンド業などがある。
(4)合併、吸収(中略)
(5)業務提携…販売網の共有化、部品の共同購入、技術提携など
(6)事業分離…別会社設立による専業化による効率経営など
(7)撤退、縮小、売却
(p.91)


小事業部などからバラバラに出てきたものをたんに寄せ集めて、
会社の中期経営計画としたのではだめである。
むしろ、この次元では、既存の事業部間の障壁を取り除いた状態で、
当該企業に与えられた真のチャンスをとらえる方法を編み出してゆなくてはならない。
(p.93)


実際に効果が出るのはこのような時間軸(2~4年)であっても、
全員に方向性を与え、ベクトルをそろえ、やる気を起こさせる、という点では速効性がある。
私は日本の会社において、特にこの中期戦略が特に有効であることを実感している。
(p.94)


私は経済学者ではないので、(無責任にも)景気の変動について
このように経験的、直感的なものの言い方をしてしまったが、
要は低成長が基本的に持続すること、景気の好、不況が
戦後の成長期よりも大きな振幅を持って周期的に訪れるだろう、
ということを言いたかったのである。
(p.103)


「1丁やろうじゃないか」という号令のもとで設備投資を危険なほどやり、
日本中のシェアを独り占めしても余りあるほどの装置を買い込んでおきながら、
販売政策の方は、これとまったくうらはらに投資を惜しんで販売会社に一任したり、
また、出だしが遅いという理由で、市場セグメントの多様化を試みない、
といったチグハグなやり方によくお目にかかる。(中略)
首尾一貫した号令が同時にかからなくては真の効果が出てこない。(中略)
師団長が突撃と言っているのに、中隊長が休憩を命じているようなものである。
(P.117)


企業の生死を決めるのは、(たとえ薄給の雇われの身であろうと)
事業計画を立案するミドルからトップにかけての人々であることを強調したい。
(p.117)


金がないから需要がなくなるのではなく、
買う必要もなく、買う気にもならないから自然に需要が減退する、
という現象になる。
(p.147)


産業構造の長期ビジョンを討議するときに、私がもっとも当惑するのは、そのカッコ良さである。(中略)
要するに見上げた産業スペクトルの変遷を描くからだ。(中略)
実行計画書にぜひとも加えなくてはならないのは、切り捨てられる側の対処策であり、
切り上げと切り捨ての間のバランスなのである。
(p.151)


ベンダサンが指摘した農耕民族のなだれ現象が
「漁業の民」にも完全に受け継がれていることを示していて興味深い。
(p.157)


当時の日本の光藤俊雄駐ニュージーランド大使は、
この事件がエスカレートするのに気をもみ、本国に窮状を訴える。(中略)
ところが水産庁の返事が冷たい。
「公海上で漁をするのに、なぜそんな指図を受けるのだ」(中略)
いわく、「われわれの水産資源を日本漁船から守れ」
(p.158)


ひとつだけ注意しなくてはならないのは、
問題をひとつずつ料理するというやり方をとらないことである。
(中略)優れた戦略家は答えにある程度の予想をつけ、
それを立証、あるいは反証できるような具合にアプローチを組むはずである。
(p.161)


分析の段階では、ほかにもこうした「常識的なことがらや数字」を
識者との面談によって精度を増していく必要のあることが多い。
(p.166)


上図に描いたようなポートフォリオ管理は、急成長志向に応えるものであり(中略)
会社の売り上げはいやがうえにも増大する。
しかしながら、現金収支の点からは、
これはまさに雇われ重役泣かせの(いったん現金収支が急激に悪化したのち回復する)
V字カーブを示すのである。
しかし、時がたつとともに、この戦略による見返りはバラ色となり、
長い目で見ればすべて「めでたし、めでたし」ということになるだろう。
一方、(中略)資金を事業から早急に吸い上げたり、
収益性を何かの理由で
売り上げ増よりも重視することを目的とした場合の戦略で(中略)は、
製品ポートフォリオは極端に収穫型となり、シェアを放棄しても収入をとる。
こういうことをすれば、売り上げは頭打ちから減衰に向かい、
現金収入も一時的にはピークを見るが、その後は急速に悪化し、
何らかの手を打たなければ今度は赤字経営の脅威にさらされる。
実際に採用される戦略は自社のニーズに応じて、この中間の、
もっともバランスの良いところに求めなくてはならない。
(p.121)


GE=戦略事業ユニットへの展開(中略)
43のSBU(戦略事業ユニット)(中略)は、
PDMによりきわめて強力に本社の機能グループとつながっており、
それぞれが与えられた小戦略に基づいて走っている。
各SBU部長の査定も、従来のように、
売上とか収益を上げればほめられるというのではなく、
極端な場合には(事業平面左下の製品グループを受け持った場合には)、
どのくらい計画に忠実に事業を縮小していっているかによって報酬が決まるのである。
(p121)


実際にこれらを消化する場合には、
強力なエキスパートの助力が必要なのもこのへんにその事情がある。
一見論理的でおもしろく、新規性もあるというだけの理由で、
これを社長室とか企画部といわれる本社機構の知的遊戯に終始させないことが
肝要である。
(p.XXX)


俗にマーケティングといえば、売ることに関係した総括的な技術をさしているようである。
(p.126)


事業として見たときには、
その製品の持つ最大限の市場ポテンシャルを吸い尽くすよう努力するのが
事業化の目的であろうし、また逆に市場との結びつきの強い事業
(たとえば土木業)などにあっては、
その強い結びつきを最大限己の益のために(商道徳をわきまえつつ)適用するための
製品を提供することが事業(ビジネス)というものであろう。
(p.XXX)


この市場は小さいという理由で新市場を求めて、
一般大衆家庭を対象に市場戦略を展開する。(中略)
投資額はかなりのものになることを覚悟しないといけない。
このようにしても、必ずしも投資が成功するという保証はなく、
中程度のリスクは十分考慮に入れておく必要がある。
一般に、みずから開けていったような市場というのはごくまれと考えたほうがよく、
新市場の開拓には金とリスクが伴うのがふつうである。
(p.128)


製品・市場戦略の策定には、七つのステップを踏むのが賢明であろう。


明日の朝、担当マネジャーが何をしたらよいかまで消化して書かなければ、
何事も起こらないのが普通である。
(p.144)


製品・市場戦略とは、このように実に分析的な仕事である。
こうした分析が日ごろからできるよう、
販売報告や、他社の販売状況についての分析書を完備する必要がある。
(p.144)


最初のうちは、われわれのようにこの戦略立案を、
何度も異なった製品系列について戦火をくぐってきた経験者と行うのが、
時間から見ても費用から見ても効率的である。
社内に、ひとたびエキスパートの一群をつくってしまえば、
あとは他の製品系列に波及させたり、事業部全体に適応させたりすることは
あまり難しいことではない。
(p.144)


ドラッカーは難しいことを言って人をケムに巻くのがうまいが、
彼の話にはよく神の宣託的な表現でKFSが出てくる。
(p.197)


世の中には、煮詰まっていない問題が山積しているからである。
(p.197)


戦略立案において、まず第一に「あれもダメ、これもダメ…」と考え、
次に「じゃあ残るのはなんだ?」という考え方をしたら、
まず現状打破はできない。
(p.198)


「今なにもできない、と思うに至った制約事項とは、なにとなにですか?」
(中略)「これらの制約条件がいっさいないとしたら、どんな可能性が出てきますか?」
(中略)と持ちかける。
すると「まあ望ましい解決策としては…」とか「理想的には…」という形で
これらのものが描き出される。(中略)
制約条件となっていたことが、理想を達成するための障害物として把握される。
そうなると、
今度は障害物をどのようにして除けばよいかということを集中的に考えられるし、
組織の中で、障害物が共通の認識事項となった場合には、
ベクトル合わせが可能になる。
(p.199)


問題(プロブレム)というものは、人間の指紋と同じように、
環境、歴史、方針などによって唯一無二という独自性を持っている。
だから、規制の解答というものはありうべくもない。
しかし、問題に立ち向かうときのこちら側の姿勢については妙薬がある。(中略)
「なにができないか?」と考える代わりに「なにができるか?」と
最初に考えることなのである。
そして、その「できる」ことを「できなく」している制約条件を
ひとつずつ執拗にはぎとる戦略を考えていくのである。
(p.200)


たとえば、毎日の新聞を読むのをやめて週刊あるいは月刊誌に切りかえ、
知識が断片的に入ってくるのを防いだり、
人々が疑問を持たずに「しょうがにあこと」として受けとめていることを
毎週ひとつずつ取り上げて、自分ならどのようにして「しようがある」ようにするかという
策(すなわち概念)を展開してみる癖をつける。
といった対処の仕方を試みるのである。
(p.XXX)


トップの戦略グループは、固定しないのがよいだろう。
重要な戦略立案のときには、ラインや他のスタッフ部門からかなりの人材を引き抜き、
平時にはまた散らす、というやり方である。
(p.208)


私自身は、分類項目のない変な業種にたずさわる人間としての悲哀を味わいつつも、
この仕事を日本で行っていくことに、大いなる意義を見出している。
内部の人々の経験と知識に、
外部の人間の客観性、中立性、分析力、集中力、実践力が加わる。
これに結果を見届けるまでしつこくねばるという精神が
内、外を問わず仕事に携わる全員に浸透すれば、百戦危うからずである。
閉鎖的といわれる日本の会社でも、いったん中に入って、
メンバーの一員として仕事を始めてしまえば、欧米と差がないように思う。
(p.213)




« 出版社の方がこのブログを | トップページ | 0006 都市の水辺をデザインする »

コメント

コメントを書く

コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.f.cocolog-nifty.com/t/trackback/1507219/40267195

この記事へのトラックバック一覧です: 0005 企業参謀:

« 出版社の方がこのブログを | トップページ | 0006 都市の水辺をデザインする »

こちらもどうぞ

  • 登別ゲートウェイセンター
  • まちづくり短信