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2011年6月14日 (火)

0007 「超」整理法2 捨てる技術

情報の洪水というか、紙くずの山に埋もれてしまって、
自分がほんとうにたどり着きたいところへ進むのに障害になっている…

というのが、わたしの現状です。
それでも、『「超」整理法』に出会って、ずいぶん自分の身の回りにも変化が起こりました。
今回は、その『「超」整理法』の第二弾。「捨てる技術」です。

以前よりは、書類に関する探し物の時間は相当縮減されましたし、
収納に要する時間も圧縮されてきました。

「整理」という行為には、何かを生み出すという効果が直接的に存在しないので、
ついつい忙しさにかまけてその一部や全部を省略しがちではありますけれども、
「何かを生み出す」その作業の生産性には、非常に深く寄与しますし、
なにより「生活のうるおい」と「心の平穏」をどれだけ豊かにしてくれるか、
はかりしれません。

このことについて、著者は、鋭い観察力を以下のように発揮しています。


(p.28)
「捨てる」ことには、緊急性がない。
当面の仕事のためにどうしても必要な作業ではないのだ。
不要書類を捨てれば仕事場はすっきりするが、それ以上のリターンはない。
それより、期限が迫っている仕事を片付けるほうが、ずっと緊急だ。
(中略)「いつでもできる」というのは、「いつになってもできない」ということである。
「この仕事が終わったら、やろう」と思っていると、
終わったとたんに(あるいは終わる前に)、もっと緊急な次の仕事が現れる。



『「超」整理法』が教えるところを、何ひとつだがえず、完全に実行するならば、
おそらくもっと効果的な仕事ができるのでしょうけれども、
そこはどうしても自分のオリジナリティを出したくなってしまう、へんな欲張りと引き替えに
最高のパフォーマンスがおあずけになっているのが、わたくしの残念なところでしょう。

そして、この著作に示される整理方法が、著者がマゼラン的な仕事と呼んでいる、
たとえば「研究」だとか、「計画」「設計」「分析」「試験」「評価」
(これらは技術士の業務でした)
とこれに伴う実践活動を行う者にとっては、記録を失ってしまったことに起因する
時間的ロスや、あるいは、記録を保管するための必要以上の労力によるロスを
軽減してくれることは間違いありません。

そして、それらが、「必ず実行すること!!」という掛け声ではなく、
全編を通じて必ず実行されることを助けてくれる仕組みの整備の
方法を示してくれていることが、『「超」整理法』シリーズの意義なのでしょう。

ただし、ファッション誌やライフスタイルに関する雑誌などに見られるような、
美しく見せるテクニックではないので、
あくまでデスクワークの機能一辺倒と理解するべきでしょうし、
美しさや快適さに関しては、『「超」整理法』シリーズ以外の要素と、
その人なりのセンスに頼らざるを得ません。


ところで、『「超」整理法』シリーズの教えの中で、
わたし自身がわりと確実に実行できている… と思っていることがあります。

それは、次の提案に関することです。

(p.146)
パソコンに入っている情報は、捨てる必要がない。
その第一の理由は、データを保存しているハードディスクの容量が著しく大きくなったことだ。



わたしは捨てないばかりではなくて、
作成途上のファイルをすべて保存することで対処しています。
それは、まさに下記の恐れへの対策なのです。


(p.170)
文章を書いている途中で、不必要な箇所や冗長な箇所を見出すことがある。
あるいは、話題が本題からずれて進行している箇所も見つかる。
こうした箇所は本文から削除する必要がある。しかし、
「もしかすると、あとで必要になるかもしれない」と思う。



また、こんな指摘もあって、


(p.173)
「仕事はフローであり、そのフローは逆流することもある」



わたしの、意外と徹底した「作業保存癖」への説明として、
とてもありがたく使わせてもらえそうです。

わたし自身は、『「超」整理法』シリーズの
第一弾を以前読んだことがあるのではないかと思います。
そして、第一弾以降の著者の経験や取り組みを通じて、
新しい所見も含まれているようです。

たとえば、


(p.62)
しかし、封筒の中に入ったものは見えなくなる。(中略)
一年ほど前の封筒で「緊急処理」というタイトルのものを見つけて、
仰天したことがある。このとき以来、
未処理で重要なものは、封筒に入れず、
裸のままダブルクリップでとめておく方式にした。
(中略)こうすれば、目につく。
クリアファイルに入れておくことも考えられるが、
裸のままでダブルクリップでとめておく方式のほうが優れている。



とあって、著者の失敗経験に基づいた対処方法が語られることで、現実味がずっと濃くなっています。


(p.64)
そもそも、決裁文書については、
「やり直し」というプロセスは想定されていないのである。(中略)
マニュアル遵守的な仕事では、仕事は一方向に流れるものと想定されている。
(中略)受け入れバッファーは様々なところに見られるのに対して、
廃棄バッファーは殆ど見られない。



「やり直し」は、ある人々にとっては、
非常に不名誉かつ非効率な現象として受け止められるようです。
しかし、著者がマゼラン的と呼ぶ仕事にあっては、
まさにそれが仕事上の特性なのであって、
最初から仕事のフローの中に含まれていてしかるべきことであったのだ
ということについても、気づきを与えられます。


さらに、わたしたちの日常的な疑いのない作業にも、新しい視座が。


(p.110)
新聞記事をきちんと整理しておくのは、あまり意味のある作業とは思えない。
切り抜いたものの圧倒的部分は、使わないからである。
そうした作業に時間が使えるのは、時間に恵まれた人である。



さらにわたしの考えを述べれば、抜書きも同様にあまり意味のある作業とは思えない。
と、思ったところ、案の定、次の指摘が…


(p.118)
(必要なところの)内容をメモしておけばよいのだが、
一冊ずつ書き出すには、大変な手間がかかる。



でも、わたしが抜書きをしてしまうのは、何か効果があるような気がするからなのです。
事業で息が詰まるような思いのところにいるときには、気分転換にもなっているようだし、
文章の上手な人の書いたものをそのまま写せば、少しは自分もうまくなるかもしれない。

それに、自分が確かに過去に読んだ本に書かれていたことで、
しかし、どの本のどういう文脈で書かれていたのか全く思い出せず、
しかし、今一度確かめたい…
そういう必要に迫られることがあるのです。

それで最大限の回避法として、抜書きを選んでみたのです。


(p.152)
将来必要になるであろうキーワードを、あらかじめ設定しておくことは難しい。
文章を作ったときには意識していなかったことを、
あとになって調べたくなることがあるからだ。



そして、この指摘のとおり、
結局、調べたくなる時には違ったキーワードで調べたくなるのであって、
抜書きをパソコンでテキスト化したところで、意外と役には立たないものです。

本を読むことの効用のひとつに、「励まされる」ことがあるのでしょう。
読むときには、今の自分として都合の良いように読んでいることは、否定できません。
たとえば、わたしには、自分たちの事業の中で劇的に変えたいことがいくつもあります。
しかし、それがなかなか実現しないでいると、しだいに取り組んでいること自体に疑いを生じてきます。


(p.100)
部屋全体を模様替えしようと思うと、構えてしまう。
「時間ができたらやろう」と思うが、緊急を要する用事は、
つぎからつぎへと押し寄せてくる。
対応ができないまま、何年もたってしまうだろう。
部分的な処理が重要なのは、日常生活の中で行なえることだ。
それによって、状況は「少し」変わる。
ほんの少しであっても、変わることが重要なのだ。
それを続けてゆけば、部屋の様子は、いつか一変するだろう。



今のわたしは、著者が
「ほんの少しであっても、変わることが重要なのだ。
 それを続けてゆけば、部屋の様子は、いつか一変するだろう。」と記してくれたことを、
都合よく、わたし達の事業も『いつかは一変する』と理解しているのでした。


もう一つの励ましは、別の著作による本著への批判に対する著者の考えを示した
「終章 その後の展開」にありました。


捨てることがいかに困難な作業であるか、
捨てることを前提とした廃棄バッファーという一時保存装置の存在が、
結果として捨てることを促進することを指摘したのである。


(p.182)
「保存することによってこそ、捨てることができる」。
これが本書の基本思想である。
この思想の背景にあるのは、「対象がフロー(流れ)だ」という認識である。(中略)
従来の整理法や書類の保管法の基本的な欠陥は、

対象をストック(蓄積)と捉えていることにある。
(中略)このため、現在存在するものの秩序付けに終始しており、
今後流入するものの処理を閑却している。


(p.190)
「一定期間を過ぎたら捨てよ」とか「定期的に」というのは、「テクニック」ではない。
無意味な精神訓話に過ぎないのである。(中略)
「一見テクニックに見えるが、実行できない方法」が堂々と述べられている。


(p.201)
図書館で書庫に入り、誰もいない空間に膨大な蔵書があるのを見ると、
人類が作り出した知的資産に限りない畏敬の念を覚える。


(p.203)
立花隆氏は、「捨てる!」を評して
「人類は捨てないことによって進歩した」と述べた。
私はこの意見に賛成である。



やはり捨てることは、人間である以上、進歩に必要な行為なのであり
だから、困難なことなのでしょう。

でも、やはり捨てないことが、人生の豊かさを妨げている側面も確かにあります。
われわれは「捨てられない」動物である。
そして、「捨てる」ことに取り組むのであり、捨てることへのストレスを軽減する技術を
このシリーズは示してくれています。




-----では、私の反応したくだりリストを以下に----


(p.20)
保存しておいても、探し出すことができなければ、捨ててしまったのと同じことなのだ。

(p.20)
必要なものが見当たらなくて探し回るとき、
「いらないものがこんなに沢山あるのに、どうして大事なものが行方不明になるのか!」
と痛感した経験のある方は多いだろう。
そして、「大事なものを見失わないために、不要なものはどんどん捨てるべきだった」

(p.21)
(3)脳の活性化 第三に、美観上あるいは精神衛生上の要請がある。
(中略)すっきりとした仕事場やなにもおいていない机は、脳を活性化させる。
(中略)普段散らかっていた部屋がきれいになると、豊かな気分になる。

(p.21)
生物が持っているメカニズムの殆どには、本質的な意味がある。
そであれば、忘却も合理的なことなのかもしれない。

(p.22)
生物が複雑な器官を形成してゆく過程では、細胞がとりあえず過剰に生産され、
余分な細胞があとからアポトーシスによって除去される。
このように、不必要な細胞が死んでゆくことによって、個体の生命が維持されているのである。
(中略)つまり、生きることを支えているのは、死ぬことなのである。

(p.23)
生物の真似をやめて成功することもある
(中略)「車輪」という回転体は、生物にはありえないものである。
(回転すると、血管や神経がねじれてしまう。
 「腕を回す」というが。実際には回していない)。
(中略)飛行機への初期の試みがすべて取りをまねようとし、
そしてすべて失敗したのが興味深いところだ。
ライト兄弟の偉大な点は、鳥とのアナロジーを捨て去ったことにある。

(p.24)
しかし、人間は、自然に備わっていた「忘却」というメカニズムを、人為的に破壊した。
文字を発明して石や粘土に書き、さらには紙に書くことによって、
記憶を長期間保持することを可能としたからである。

(p.25)
「マーフィーの法則」の一つに、
「書類は保存している間は必要にならない。しかし、捨てた翌日に必要になる」
というものがある。これは誠に恐ろしい法則である。
実際にそうならなくても、そうなるのではないかという恐怖心から、捨てられない。

(p.26)
思い出が残っているものには、必要がなくても捨てられない
「センチメンタル・バリア」がある。

(p.26)
衣服、道具、食品などのモノについては、「必要か不要か」の判定は、比較的容易である。
(中略)
しかし、メモや資料は全く違う。
破れていても古くても、重要なものがある。
それを間違って捨ててしまうことによる損害は、きわめて大きい。

(p.27)
大掃除のかわりに引っ越す
戦後の日本でそれが変わったのは、借家法の制約で、借家の供給が減少してしまったからである。

(p.29)
学者の仕事部屋は、とくに乱雑だ。
エール大学における私の指導教授の研究室は、
論文や書籍が机の上からはみ出して、直接に床の上に置いてあった。
だから、入口のドアから教授の机までたどり着くのは、曲芸だった。

(p.29)
ここから導かれる結論は、「捨てるためのノウハウが必要」ということだ。

(p.30)
「捨てる」ことをテーマにした本を探した。
そうした本は何冊もあるのだが、役に立つものはない。
ただ「捨てよ」というだけで、そのためのノウハウを示してくれない。
「情報をどう集めるか」については、たくさんのノウハウ書がある。
(中略)「すてる」というのは、これまで有効なノウハウがなかった分野なのである。

(p.30)
衣服や家具などの整理と廃棄については、婦人雑誌などが一定期間おきに特集を繰り返している。
(中略)「整理特集号」の内容がいつも同じようなものになるのは、
そこに現れる記事があまり有用でないことの証拠でもあろう。

(p.31)
捨てる必要性がこれまで認識されなかったわけではない。
それどころか、「整理法」をテーマとする本には、必ずといってよいほど、
「いらない書類を捨てよ」と書いてある。
これは、まったくそのとおりだ。
しかし、いらない書類を選別する方法論を示すのでなければ、
これはトートロジー(同義語反復)にすぎない。あるいは、精神訓話だ。
世の中で「ノウハウ」と称していることには、この類のものが多い。
(中略)「思い切って捨てましょう」などと書いてある。冗談ではない。
捨てたものがあとから必要になったとき、誰が責任をとってくれるのか。
これは、「天佑を信じて突撃せよ」と同じような無責任指令である。
旧日本軍以来、この類のものが後を絶たないことに、怒りを禁じえない。
(中略)「どのような方法で捨てたらよいのか?」
「捨てるためのシステムは、どのようなものでなければならないのか?」
これが、本書のテーマである。

(p.33)
まず、対象がフロー(流れ)であることを明確に意識する必要がある。(中略)
必要とされるのは、膨大な量のフローを制御するダイナミック(動的)な方法である。
一定量のストック(蓄積)を管理するスタティック(静的)な対処法ではない。

(p.33)
部屋を整理するとき、「現在部屋の中にあるものを秩序立てる」ことで
終わるのではないだろうか?
「明日以降、新しいものが入ってくる。重要なのはそれを収納する仕組みを作ることだ」
という認識は、殆どない。

(p.44)
知的生産活動の中心は、マゼラン的な仕事である。
日々の作業は、非定型的なものの連続だ。
ある日にはデータを集めていたと思うと、次の日には計算作業をやっている。
そして、次の日には原稿を書く、といった具合だ。

(p.45)
また、現代社会では、多くの仕事がマニュアル遵守ではすまないようになっている。

(p.60)
従来の書類収納用具であるフォルダやキャビネットに入れるには、
分類しなければならない。
これには手間がかかる。だから、すぐには入れられない。

(p.62)
押し出しファイリングでは、別の封筒に同じタイトルをつけて収納すればよいのである。
これによって節約できる手間はわずかなものだが、日常の作業では重要なことだ。

(p.69)
検疫のことを、英語でカランティーンQuarantineという。
これは、ラテン語で「40」を意味する言葉である。
(フランス語を勉強した人は、40がQuaranteであることを思い出すだろう)。
(中略)それは、1377年にイタリアでペストの侵入を阻止するため、
エジプトから入港した船を40日間係留したことに由来する。
これだけの日数があれば保菌者は発病するから、未発病の保菌者が国内に侵入することを防げるわけだ。

(p.70)
押し出しファイリングでは、「とりあえず収納したもの」と「とりあえず捨てたもの」が、
一箇所に並んでいるのである。
左のほうにあるものは、「とりあえず収納したもの」だ。
これは、取り出しやすい場所にある。
つまり、押し出しファイリングの左側は受け入れバッファーである。
そして、右側が廃棄バッファーになっている。

(p.71)
「マゼラン的な仕事」(非定型的な仕事)は、「マニュアル遵守的な仕事」(定型的な仕事)に比べて、
次の諸点で異なる。
(1)新しいものがつぎつぎに現れる。最初は重要度を判定しにくい。
(2)試行錯誤や「やり直し」が必要とされる。
(3)「どこが最終段階なのか」、「いつ不要になったのか」がはっきりしない。
(4)扱う書類の形式も一定しない

(p.77)
私は、机の上が書類で散らかってきたら、
書類を「スミ封筒」に入れる作業を随時行っている。
(中略)ここで重要なのは、「必要ならあとで取り出せる」という安心感である。

(p.79)
しかし、私は、書類を捨てることに強い恐怖心を持っているので、
この段階では、まだ捨てない。
執念深く、箱に入れて保存しているのである。
(中略)この箱が「第二段階目の廃棄バッファー」である。
(中略)箱に入れたスミ封筒を取り出すという事態になったことは、これまで一度もない。(中略)
実質的に意味があることではない。ただし、重要なことがある。
それは、箱に入れることによって、
本棚から取り出す際の心理的な負担が軽くなっていることだ。
ここでも、「あまり深く考えないで」取り出しているのである。

(p.81)
つまり廃棄バッファーに保存する目的は、実は、捨てることなのである。
「使うために保存するのでなく、捨てるために保存する」のである。
(中略)「捨てなければならない」と思うと、捨てられなくなる。だから、捨てなくてよいことにする。
つまり、保存しておくのである。それによって、捨てるのが容易になる。

(p.100)
「捨てること」は、仕事の正規プロセスに入っていないことが多い。
「書類整理期間」が設けられているのはその証拠である。

(p.109)
新聞記事のオンラインデータベースは(中略)
ある程度以上の知名度のある人については、
人物データベースより詳しい人物情報が得られる。
また、あるキーワードが登場する頻度を数えると、
そのテーマに関する世の中の関心度の推移を知ることができる。

(p.108)
一般紙は(中略)きれいに切り抜く必要はまったくない。
私は、手で破り取っている(中略)
こうすると余計な部分も含まれるが、大きな問題ではない。

(p.113)
「本の整理は、絶望的だ」(中略)最大の理由は、「本は捨てられない」ことにある。
書類は仕事の途中で生まれる経過物であるが、本は成果物だ。
したがって、一般的にいえば、完成度が高い。

(p.126)
知的作業空間においてもっとも重要なものは、作業机である。(中略)
作業机に求められる条件は、二つある。
第一は、大きいこと。
第二は、引き出しがないことだ。

(p.128)
なお、机は壁を向いて置くのではなく、窓を左にし(右利きの人の場合)、
本棚を背にした位置に置く必要がある。

(p.136)
書斎の壁が書棚になっており、そばにロッキングチェアが置いてあるとよい。
こうした部屋で、気ままに書棚から本を取り出して読むのは、
多分、人生最高の悦楽であろう。

(p.142)
世の中から1時間だけ先を進みたいと願っているからです。
一年先を進んでも誰も認めてくれない。むしろ問題を起こすこともある。
しかし、1時間であっても先を進むのは難しいことですね。


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